健康の事になると…
よく「アレは効く」「コレはダメ」って耳にしません?
あるメディアで『〇〇が効果あり』と流れただけで、翌日には店頭で売り切れのオンパレード。最近はネット通販も同様に『在庫なし』になる事が多い。
どんな物でも【自分で試して結果が出るまでは分からない】。たとえ親子・双子(三つ子など)でも違う個体である以上、全く同じである訳はない。
世界各国で『反対デモ』が起きているワクチンの義務化。
個人の自由と言っていても、日本の場合は世間が『人に迷惑をかけるな』という同調圧力が発揮され田舎ほど選択肢なんか存在しない。声のデカい人が1人でもいれば、それに沿って動くしかない空気感と閉塞感。
こんな事なら、こまめに田舎に行って閉塞感をぶち壊せば良かったのか…と自分を責めたりしているが、1人が行ったところで変わらないのだろう。
そもそも、接種前は個々が
・打ちたい人
・そもそも、打ちたくない人
・持病、アレルギーなどで打てない人
・安全性などが分かるまでは打ちたくない人
と分かれている。それが、結果として
・打つ(打った)人
・打たない人
の2択になり、【打てない人】は存在しなくなる。
その状況で、ワクチンパスポート(陰性証明・接種証明)が始まると何が起きるか。歴史を知る方、哲学が好きな方、ちょっと考えれば分かる方。
【 差別 】の始まりです。
いくら『差別はダメ』と説いたところで、
・大人が
・世間が
・公的な機関が
・国が
・世界が
堂々とやっているんだから、説得力のカケラもない。
冒頭に書いた、『健康に効く〇〇』が売り切れる話。
マスク・アルコールなどが店頭から消えたなんて事が、大きなニュースになった。
その時に起きたのは
・買い占めて『自分は安全』と思う人
・数少ないマスクを他人に分ける人
後者は美談として取り上げられていた事もあるが、それは置いといて。ここで何が起きているのか。
自分は安全という【 優越感 】ではないだろうか?
この優越感こそ、無意識に己と他者を差別している要因ではないか。自分は安全、でも他の方は残念ね…ということなのか。
今も昔も所詮は人間。そして、今は【情報戦】の時代。
情報弱者で声が大きい人が暴走して、日本独特の『ムラ社会』で同調圧力を生み、マスゴミは肝心な報道を一切していない。
今回のコロナ禍で、唯一見ようと思うのは『Nスタ】くらいだ。
・内容が偏らない様に
・一般人の不安や質問
・感染・陽性になった同僚が居た時には、現状を伝え
感染した人が悪いわけではない。誰もが感染し得る
感染してしまった人が自分を責める社会への疑問
そして責めてしまうこと自体のメンタルの心配
短い時間に端的に伝えるアナウンサーの力量が素晴らしい。
TBS「Nスタ」井上貴博アナ、共演した日比アナの感染でリモート出演「誰が悪いということは一切、ありません」
異例「Nスタ」メーンキャスターが自宅からリモート出演 井上貴博アナ 日比アナが陽性で
マスゴミに出ている専門家と称する人たちは、本当に専門家なのか?多額の金銭を貰っていて、一般人よりも知識があるというのなら…
・何故、妊婦にワクチンを打たせたのか
→ コーヒー、風邪薬、サプリすら接種しない
・重症化、死亡が0に近い20代以下に接種させるのか
→ 同居する高齢者のため?副反応よりも重要?
生命の線引きをしたくはないが、中長期的な結果が分からない物を打たせて、今後数十年も後遺症に苦しむ可能性がある事を伝える事もせず接種だけさせるのは法律違反では?それ以前に、【 人として、どうか 】と思いますが?
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